伝え人の物語

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阿部 久司(あべ ひさし)

竹細工師

工芸名
津市 竹細工
地域
中南勢
  • インテリア雑貨
  • キッチン雑貨
  • その他
  • 木製品

ドイツの[マエスター制度」みたいなもんが日本にもあったらええんやけどね

Q:津市の竹細工は昔から盛んだったのですか?

A:ええ、盛んでしたよ。私が聞いている限りでは、津西部の片田地区は日本三大の竹の産地だったということです。竹材の産地で、あとは大分と京都やね。津は宜しかったです、性質もね。昔は竹と言うのは、どこでもあるものやけど、ここのは良かったらしいよ。
私で3代目やけども、父親の時には津だけで70件くらい竹細工屋があったらしい。なんでちゅうと、津は藤堂藩の城下町があったでしょ。 結局はねそれまではあっても、大体が、じゃこ籠といって、白塚の煮干し屋が、煮干しを運ぶ箱に使ったのが多かったね。今のダンボール箱の変わりやね。あとは、廃藩置県で武士が職を失って竹細工屋になって、籠や傘や作りだしたので多かったんやね。武士は刃物を使うのが上手いで、内職としてはやりやすかったのかなぁ。戦後の日本みたいなもので、お役所があかんようになってしもて、役人は仕事あらへんわね。他の伊勢木綿や松阪木綿も廃藩置県の影響で職人が増えて、いまの伝統工芸になってきたんやわな。昔は前の家も木綿問屋していましたけど、変わって行きましたね。今と同じですわ。やっていけ無くなったら、会社も潰れるし別のものに変わっていきます。同じですわ。今は、物は安かったら良くて使い捨て、中国の安い製品どんどん使いなさるでしょ。私らみたいな専門業者がええもん作っても、高いやないかということになりますわ。京都あたりは、すだれ屋と神社仏閣の御簾屋とは別でしてね。観光地やから、遠くからお客さんが来てくれる土地柄やけど、その京都がどんどん潰れてく。だからうちは、何でも屋ですわ。なんでもやらんとやってけやん。

Q:阿部さんのところの商品の特徴的は何ですか?

A:特徴的というか、大体のことは全部わかっておるで、簾でも全部うち製やわね。
御簾の縁の布は、西陣です。京都で織らしてます。ですから、修繕なんかもできますわね。縁の部分を反物で織らすんですが、簾柄というのが色々ありますからね。正絹も緞子もいろいろな素材があります。既成品の縁は品質の低いものが多いですが、うちはお客さんがいつ来て頂いてもいいように、金具や房の座敷用の菊房なんかも多種多様の縁や房を在庫して用意はしていますよ。神社仏閣用の材料もあります、三重県ではうちくらいしかあらへんと思いますよ。

Q:神社仏閣用の材料の色に何か意味がありますか?

A:色合いというのは、宗教によって変わりますけど、平安時代の安倍晴明によると竹は魔除けの邪気を祓うというそうで、その御簾の風習を江戸時代から明治にかけて一般の家庭に取り入れたんが、京都が主に使われる「御殿御簾」と名が付けられて、茶人などが使いだした。それを始めたのが近江八幡らしいけどね。

Q:阿部さんは3代目だそうですが、継がれるときはいかがでしたか?

A:長男やもんでね、私は大学行きたかったけど、親が長男だからやってくれない。「お前は跡継ぎやから」と言うことでね。それがまかり通った時代だからね。

 

Q:抵抗はありましたか?

A:ええ、有ります。有ります。進学校へ行っていましたからね。当時でも生徒500人中400人は大学へ行くような学校でしたからね。そうすると、地元に残るのは100人くらいやないですか、半分は女の子やでね。戦後すぐの話ですけどね。今やったら、そんなもん抵抗しますは。私が行かないだけに、弟を大学にやれと言うたわね。弟はもう会社を定年退職していますけどね。昔は親が大学へ行かせてくれないと、どうしようもありませんわ。

Q:継がれた結果はいかがでしたか?

A:自分のお客さんを作るのに難義しましたね。親に手取り足取り教えてはもらってないです。「見て覚えよ、技術は盗め」ですからね。作って見せても、最初のうちは「こんなもの商品になるか」と云われ続けました。慣れてきて、出来も良くなってきて一人前になったら、一番腹立つのは、お客さんは私自信を評価するのではなく、「お父さんに良く仕込んでもらったね」という評価ですね。今では理解できますが、当時は悔しかったわね。
親父も88歳まで現役やったけど、お前に任すわって言うた時、私は50代やったね。30年以上下積みばっかりやったわ、昔はみんなそうやったけどね。うちらの親父でも、最低10年奉公して、礼奉公2~3年せなあかんて言うでな。暖簾分けするのにも、お金を出してはくれないわね。名前だけ使っておればいいというだけや。今の人やったら、奉公に来たらいくらお金貰えますか?と聞くわね、まだ何も仕事できやんところからでもね。
伝統工芸の大きな業界で職人の不満というたらね、日本がドイツみたいなマイスター制をとってくれたらええのにと言うことです。日本にそんな制度ありますか?多分ないでしょ。国として伝統の技術を教えて育てる制度があったらね。工芸にも金型とか色々あるでしょ、世界競争になって日本の技術が落ちてきたら、職人が大事やというても遅いです。
今の工業製品だと、職人が長い間かけてやってきた図面をコンピュータ放り込んで再現してますね。コンピュータも高性能だから、ミリ・マクロ単位の仕事ができてるようで、出来ないないとこありますからね。私らみたいに、手仕事やってたら、よーわかるの。例えば、寿司用の簀子なんかも輸入物なんかは2週間もしたらガサガサになって、竹が抜けるけど、手仕事だと1本1本の竹の形に合わせて編んでくから、ゆるくなって一本抜けることはありませんね。今日は熟年の寿司職人に頼まれた簀子を編み直しているのです。使い慣れた簀子は、竹に油がしみて使いやすいらしいです。 だから、紐が緩んできたら編み直して使うんですが、現代の寿司職人には、簀子の良し悪しが解らない者もようけおります、古くなったら安価な新品に買い換える人が多くなりましたね。だから、私達のような職人が少なくなるのは、無理ないわ。輸入製品に対向する金額を出そうと思うと、時給換算したら最低賃金を取ることもできませんからね。何も出来ないひとでも、最低賃金保証しなくては行けない世の中に、実際に仕事してる職人のような熟練経験者が最低賃金を貰えない現状ですから、手職人は減るいっぽうです。
竹を切って、割って、洗って、籠を作るとしても、厚さも幅も考えないとあかんし、みな手でやるでね。1本の竹を割った厚みというのは感触でやるでね。機械でやったら、みんな均等で上手いこと出来るようにおもいますけど、よく宮大工がやってますように、1本の木の育ち方によって、みんな違うわけで、竹も1本ずつ違います、1本の竹でもお陽さんが当たってるところと、影のところは育ち方も、硬さも違いますから、手作業ならそれを判断して竹を裂きますけど、機械ではただ寸法通りに均等割やから、製品を編んだ時に上手くいきませんね。木でも陽が当たらないで育った部分は、専門用語で「アテ」と言うんですけど、それは値段がやすいから、安物用に使い分けたものなんです。昔、ご飯物は椹か薪は杉かというたんですけど、今は外材を作ってあるでね。最初は綺麗やけど、そのうちひどい匂いしてきますよ。

Q:今後について、何か考えてみえることがありますか?

A:今後ていうてもの、息子が継いでくれたらね、いいけど、息子は大学行って帰ってこうへんからね。自分が大学行けなかったから、息子は行かせたいでしょ。今の時代は学がないとやっていけませんからね。後する者があったら、私が元気なうちは仕込みますけどね、生きとるうちは勉強ですからね。今後は、親父にわるいし、情けないけど私の時代で終わりやと私は見とるけどね。

Q:伝統工芸を外国へ紹介すことについてどう思われますか?

A:伝統工芸として紹介するのは、いくらでもいいですよ。ドイツやアメリカへお土産に持っていくお客さもありますよ。

Q:海外では、日本の工芸品は日常品というより、アートとか美術品に近いものとされるようになってきました。

A:伝統工芸が日常品から、芸術品になってきたとしても、竹細工として基本的なものは変わらない、変化はさせますが、元々の編み方は変わらないね。それをどう組み合わせるかということです。親父は、芸術は面白いけど稼げやんから、やめとけと言うてましたから、私は普段使いのものをやって来ましたね。

Q:伝統工芸をやってきて、定年もないし羨ましいという人いますよね。どう思われますか?

A:楽しみと言うのはあるけどね、保障がないからね、伝統工芸の継承とかには、制度が不十分やね、前にも言うたけど、マイスター制みたいなものがあったらええけどね。と思いますわ。

伝統工芸品

店名
阿部 久 すだれ店
事業内容
竹かご・すだれ製造販売
代表者
阿部久
所在地
三重県津市東丸之内19−2
電話
059-228-3491
FAX
059-229-3641
営業時間
9:00~18:30
定休日
不定休
アクセス
津松菱百貨店裏道り付近
近鉄名古屋線 「津新町」駅より、1番のりば津駅方面バスで岩田橋停留所下車、徒歩5分
近鉄名古屋線 「津」駅より、1番のりば平木・緑が丘方面バスで岩田橋停留所下車、徒歩5分